【報告】2020.9.12「橋本淳司と歩く わくわく水の旅 ─【玉川上水を訪ねる】浄水から下水までの流れを知ろう」

当事務所代表の橋本淳司が、PARC自由学校様のご依頼を受け、「わくわく水の旅 ─自治・防災・未来の〈まち〉をデザインしよう」を企画しました。

自分たちが毎日つかっている水、災害のときにやってくる水が、どこからやってきて、どこへ流れていくかを五感で感じるのがねらいです。

2回目は、【玉川上水を訪ねる】浄水から下水までの流れを知ろうです。

コロナの感染拡大防止のため、少人数での開催(13名の方がご参加)で、密にならないよう行いました。

以下、当日配布したパンフレットをもとに構成していきます。

羽村編 まいまいず井戸、羽村取水堰など見学

ここで恒例のクイズ大会

「わくわく水の旅」のでは、毎回、訪れた場所にちなんだクイズをやっています。

問題1:2002年に多摩川にあらわれて「たまちゃん」と呼ばれて人気になったどうぶつはなんでしょう?

1)アゴヒゲアザラシ 2)ワモンアザラシ 3)ゴマフアザラシ

こたえ:アゴヒゲアザラシ。2002年8月、多摩川の丸子橋付近に出現。新聞やニュース等でも取り上げられ、話題となった。2003年2月、横浜市西区より特別住民票を与えられ西区の名誉区民となった。登録名はニシ タマオ鳥取県鳥取市の湖山池に現れたのがワモンアザラシ、埼玉県志木市の荒川の秋ヶ瀬取水堰付近に現れたのがゴマフアザラシ。

問題2:旧鎌倉街道は羽村堰に関係するあるものを運び道でもありました。あるものとは?

1)竹 2)石 3)水

こたえ:竹

問題3:羽村堰近くにある禅林寺には多摩川に関係する「ある場所」を描いた作家・中里介山の墓があります。「ある場所」とは?

1)笠取山 2)大菩薩峠 3)小河内村

こたえ:「大菩薩峠」。大菩薩峠は多摩川の水源の1つ。小説「大菩薩峠」の著者で、羽村出身の中里介山の墓があります。介山の母の親類(加藤家)は羽村堰の管理をする「水番人」を務め、介山も上水や玉川兄弟に関する史料を集めるなど、玉川上水にはゆかりがあります。

問題4:「玉川兄弟」の像を見てください。後ろが兄の庄右衛門、前が弟の清右衛門。兄は間縄(けんなわ)、弟は間竿(けんざお)をもっています。これは何をする道具でしょう?

測量の道具を持っています。兄は何かを指さしていますが、水路を引く方向を見定めているのでしょう。

問題5:玉川兄弟像の台座の碑文には「幾多の苦難」という文字が見えます。「幾多の苦難」の1つは、土地の高低差を見誤り途中で水が流れなくなってしまったこと。では、もう1つは何でしょうか?

こたえ:掘った場所の水捌けがよすぎて、水が地中に吸い込まれてしまいました。その土を「水喰い土」といいます。

問題6:玉川上水や神田上水が引かれて江戸の町に水道ができました。「水銀(みずぎん)」と呼ばれる水道料金もあり、1ヶ月の水銀は16文から20文程度でした。ところが、本所・深川などの下町には水道が引かれず、水屋が水を運んできました。どうしてでしょうか?

こたえ:上水が隅田川を越えられなかったり、埋め立て地で水質が悪かったりして、飲料水に困るエリアとなったからです。こういう地域は水道料金が高くなってしまい、1荷(天秤棒の前後に下げる荷物を数える単位。樽は2個で1荷)あたり、40〜100文でした。

 

玉川上水駅周辺散策

 

羽村駅から玉川上水駅までは電車で移動しました。

昭和40(1965)年、武蔵水路が完成すると、

→水不足解消の切札として利根川の水が東京へ導かれた。

→淀橋浄水場は廃止、機能は東村山浄水場へと移転

→玉川上水の導水路としての役割も野火止用水との分岐点でもある小平監視所で終了

羽村取水口から取り入れられた多摩川の原水は下流500メートルの第三水門を通過すると、取水所より遠隔操作で村山貯水池(自然流下方式)と小作浄水場(ポンプ圧送)に送水される。

残りは玉川上水路を流れ、途中6分水(福生、熊川、拝島、立川、砂川、小平)に放流し、12キロメートル先の小平監視所に至る。沈砂池に導かれた原水は管路で東村山浄水場へ送られる。

 

 

みなさま、お疲れ様でした。

この講座は、今後も続きます。詳細は、以下からPARC自由学校様のWEBサイトをご覧ください。

橋本淳司と歩く わくわく水の旅 ─自治・防災・未来の〈まち〉をデザインしよう

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アクアスフィア・水教育研究所