水の流れが日本人の精神や文化に大きな影響を与えた
日本の地形は急峻で、雨が降るとすごい勢いで水が流れていく。
一方ヨーロッパでは、降った雨は大地にゆっくりと浸透し、水はなだらかな平野部をゆっくりと流れていく。
概して日本の川は流れが速く、ヨーロッパの川はゆっくりと流れるということになる。
山に降った雨が海に出るまでに、日本では1泊2日、ヨーロッパでは2週間と言われ、それぞれの夏休みの長さくらいだと言われている。
この水の流れが日本人の精神や文化に大きな影響を与えた。
もしも日本の大地が平らかで川の水に動きがなかったら、水墨画は生まれていなかったかもしれない。
水墨画は水と墨だけで濃淡と強弱を表した絵だが、水そのものを描写したものではなく、水が空気や岩や石などの影響を受けながら動いている様、つまり水の動きを描く絵だ。
水墨画や山水画の影響で室町時代に生まれた枯山水は、水や草をつかわずにつくられた庭だが、これも砂や石だけで水の動きを表したものだ。
一方、ヨーロッパに光の絵画が生まれたことと、ゆったりとした水の流れは無縁ではないだろう。
水の表面が光を反射するほど静かでゆったりとしているからだ。
セーヌ川もドナウ川もライン川も下流域では、ときには凍るほどゆっくりと流れている。
そうした水辺に住んでいると水面に反射する光に対して敏感になる。
水環境はそこに住む人の考え方や生活に大きな影響を与える。
水のない土地では自然を何とか克服しようとする。
キリスト教は砂漠の宗教と言われるように水のない土地で生まれた。
その流れをくむ西洋文明は科学の力で自然と格闘している。
一方、日本は温暖で雨も多く、豊富な水と豊かな森のある国だった。
美しい川と豊かな森は食べ物の宝庫だ。
くだもの、野菜、動物などを苦もなく手に入れることができた。
だからあらゆる自然の恵みを神からの授かりものと考え、自然に感謝した。
このように水環境の違いは、人々の考え方に大きな影響を与えている。
「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という鴨長明『方丈記』の冒頭は、日本人の水に対する考え方を象徴している。
これは流れていった水はもう戻ってこない、世界はいつも変わっているという無常観を表現したもの。
これも日本の川の水が勢いよく流れていたために生まれてきた思想だ。
『方丈記』が執筆されたのは中世で、社会的に不安定で戦も多いし、職業も安定していない時代。
水の流れと身のうえにおこることとがシンクロしたのだろう。
現代、さまざまな天災、企業の倒産、雇用不安など、不安定という意味ではわりと中世に近いかもしれない。
江戸時代は比較的安定した時期だった。
「水に流す」という発想が根付いたのも江戸時代のことだ。
中世には「川は流れる、世の中も変わる」ということを感じながら生きていたが、「川は流れるが、世の中は変わらないほうがいい」という時代になった。
稲作には共同作業が必要だから、隣近所の人々が仲良くしないといけない。
同じ川の水を共同体で管理・分配し、農作業も誰かが病気で休んだら助け合うようになり、村のなかで争いが起きても、水に流して和解した。
コミュニティを平和に保つために、水に流すということは都合がよかったのだ。
また、流れがあるとたとえ川にゴミを流しても自分の目の前からすぐになくなってしまう。
「三尺流れれば水清し」
という言葉があるが、これは問題があっても少し流れてしまえば、
「自分のところはきれいだからもういいや」
という考えにも受け取れる。
おいしい水を飲みたい、きれいな水を使いたいと言いながら、水を汚すことには無頓着なことが多い。
これは「水に流す」に似ている。
でも流したあとのことも考えないと、結局いつかは自分のところに戻ってくる。