<水の科学1>水分子が酸素1つと水素2つから構成されているとわかるまで
タレス「万物の根本的な存在は水である」
水を化学式で書くと「H2O」と表わされます。ですが、水分子が酸素1つと水素2つから構成されているとわかったのは19 世紀のこと。いまから160 年ほど前のことです。
それまではどのように考えられていたのかを、振り返ってみましょう。
古代ギリシャの哲学者、一般的に最初の哲学者とされるタレス(紀元前624 年‒紀元前546 年頃)は、アルケー(万物の根源)を探求するなかで、「アルケーは水である」と唱えました。
「すべての生命は水を含んでおり、水が無くなれば、乾いてボロボロになって消えてしまう。人間も動物も農作物も、みな水により生きている。したがって、万物の根本的な存在は水である」
と考えました。
当時はまだ神話が信じられていた時代ですから、このような考えは画期的なものでした。
植物も動物も水なしでは生きていけません。
さらに気温の変化によって水は氷になり、蒸発すると空気のように見えなくなります。
水はあらゆる物に含まれ、自由に形を変え、生命を支えています。それゆえにタレスは「万物の根源」と考えました。
その後、エンペドクレス(紀元前490 年頃〜紀元前430 年頃)は、水、空気、土、火をリゾーマタ(元素)とし、その集合や離散によって自然界のできごとを説明する「四元素説」を唱えました。
これはアリストテレス(前384 年〜前322 年) に継承されました。
一方、デモクリトス(前460 年〜前370 年)は「水は原子であり、これ以上分割できない最小単位の粒子からできている」と反論しました。
デモクリトスは、「決して変化せず、消滅しない存在」として、「原子(アトム)」という粒子を考えました。あらゆる物質はどんどん分割していったら、最終的には「それ以上は分割することができない究極の粒になる」とデモクリトスは考えたのです。
このころから「物質が原子という粒子からできていること、原子の形や運動によって物質の性質が決まること、そして物質に変化(化学反応)が起きても原子は消滅しない」という概念ができつつありました。
しかし当時は、デモクリトスの原子説を確かめる方法がなく、結局、アリストテレスの説が勝ちました。残念なことに、この時代には、電子顕微鏡はありません。だからデモクリトスが原子論を唱えても、それを確認することができませんでした。デモクリトス自身も、「自然の探求を行なっても結局は机上の空論にすぎない」と述べています。
四元素説により、元素の性質(温冷湿乾)を変えれば元素が変換すると人々は信じ続けました。
その結果、1700 年以上もの間、人々は「錬金術」に夢中になりました。
一般的によく知られた錬金術の例としては、物質をより完全な存在に変える「賢者の石」を創る技術がありました。この賢者の石を用いれば、「卑金属を金などの貴金属に変え、人間を不老不死にすることができる」などと考えられましたが、その試みはすべて失敗に終わりました。