寺田寅彦の洞察
物理学者で、随筆家、俳人でもあった寺田寅彦(一八七八〜一九三五年)は、人は災害と如何に向き合うべきかについてのメッセージを数多く遺した。代表的なものは、「天災は忘れた頃にやってくる」だろう。寺田は防災学者としても活躍し、地震、台風、火山などの被災地を調査した。
亡くなる前年には『天災と国防』という作品を総合雑誌「経済往来」(日本評論社)に書いている。この頃は、関東大震災(一九二三年)、北但馬地震(一九二五年)、北丹後地震(一九二七年)、北伊豆地震(一九三〇年)、西埼玉地震(一九三一年)、昭和三陸地震津波(一九三三年)と地震が続発した直後だった。
そこには「いつも忘れられがちな重大な要項」としてこんな記述がある。
それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。(中略)文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす。
寺田寅彦は関東大震災の被災地を歩き、過去の自然災害に耐えた古くからの集落に比べ、新たに開発された地域の被害が大きいことを目の当たりにし、この洞察にたどり着いた。物理学者は「人としての分をわきまわること」を説いている。
もう一つ示唆に富んだ言葉を紹介したい。北伊豆地震の災害地を調査するため、静岡県三島町(現在の三島市)に日帰りで出かけたときのことを、『時事雑感(地震国防)』(「中央公論」、一九三一年)に書いている。そこには忘れっぽい人間の姿がある。
蟻の巣を突きくずすと大騒ぎが始まる。しばらくすると復興事業が始まって、いつのまにかもとのように立派な都市ができる。もう一ぺん突きくずしてもまた同様である。蟻にはそうするよりほかに道がないであろう。人間も何度同じ災害に会っても決して利口にならぬものであることは歴史が証明する。
人間が「もし分をわきまえていたら」「もし忘れっぽくなかったら」被害をもう少し減らすことができたのではないか。こうした洞察は、そのまま最近の豪雨災害、土砂災害に当てはまる。(2020.8.20 橋本淳司)