教育は水問題を解決できるか 橋本淳司
中国で「水の授業」がはじまった理由
私は2002年頃から学校、市民団体、企業などで「水の授業」を行ってきました。最初は諸外国の水事情をスライド投影しながら解説していましたが、
「子どもたちに水の大切さを教えてほしい」
「持続可能な社会をつくるためにはどうしたらいいか教えてほしい」
などと請われ、「どうしたらより伝わりやすくなるだろうか」と、試行錯誤しながら授業プログラムを考えるようになりました。水道の蛇口をひねれば水がふんだんに流れ出す国で、水の大切さを伝えるのはなかなか大変です。
2010年からは中国で水の授業を行いました。河南省の鄭州市、山東省の淄博市、北京市の3都市で、節水担当者向けに「水の大切さを市民にどう伝えるか」というテーマでセミナーを行い、小学校でワークショップを行いました。
これは国際協力機構(JICA)の行った「中日節水型都市構築プロジェクト」の一貫です。
中国の水不足、水汚染は確実に進行しています。降雨量が少なく、河川の流水量も地下水も少なくなる一方で、生活や産業に使う水の量は減っています。いまの状態が続けば、中国の主要都市は水不足が原因で、都市機能を維持できなくなるでしょう。
水不足の地域で求められるのは、技術的な解決策です。効率的な水利用を行うための技術が次々と開発されています。もう1つが制度づくりです。水利用のルールをつくって問題を解決しようとします。
そして3つ目が、教育です。一般的には「普及啓発活動」といいますが、中国人1人ひとりが水の大切さを実感することです。
中国政府は節水活動として、これまで技術面での対策をとってきました。同時に政策として、水価格を上げることで節水を促してきました。しかし、この方法では富裕層は影響を受けないので節水につながらず、影響を受ける所得の少ない人の生活は厳しくなります。水道料金は中国人の生活水準から考えるけっして安いとは言えないので、値上げは最良の策とはいえません。
そこで教育にも力を入れることになり、私もお手伝いすることになりました。具体的には、中国で「節水リーダー」(節水に関する普及啓発活動の担当者)を育成する仕事です。
普及啓発活動は大きな力となります。1980年代半ば、アメリカのボストン大都市圏で、水需要が安定供給量を上回り、市はコネチカット川からの導水を検討したことがあります。ところが大規模な節水教育を行ったところ、水使用量はピーク時の31%まで減らすことができ、2004年の水使用量は過去50年で最低となりました。導水計画は無期限に延期となり、設備投資だけで5億ドルのコストを削減できたのです。
この成果のポイントは市民に節水意識が根づいたことにあります。
中国の水不足・水汚染の問題は、日本にとって対岸の家事ではありません。中国の水不足は日本にも確実に影響を与えます。
ですが中国が、水循環のしくみや水の賢い利用法を理解し、新たな政策や技術的解決策を考えて実行すれば、地球全体の水不足、食料不足、エネルギー問題の進行をある程度止めることができます。
水と食とエネルギーは深く関係していて、1つを上手に使おうと考えはじめると、ほかの2つについても考えるようになるからです。プロジェクトをきっかけに、中国の人たちが「水の大切さ」に気づいてくれたら、さらに一歩進めて「地球環境を持続させるにはどうしたらいいか」に気づいてくれたら、それは中国だけでなく、東アジアにとっても意味のあることになります。
技術だけで水問題は解決するか
ですが、最初のうち、教育による問題解決はなかなか理解されました。
たとえば、山東省の中央部に位置する淄博市で、こんなやりとりがありました。
淄博市の人口は400万人。年間降雨量は約400ミリで、一人当たりの年間水資源量は300トンと中国の平均の7分の1程度です。一般家庭での水使用量は1人1日当たり70〜90リットルと北京市の3分の1程度です。
地下水と黄河からの導水を水源としていますが、淄博市は工業都市であり、石油化学工業、医薬品工業、建材工業などが盛んで産業発展が著しいため、水事情はさらに厳しく、地下水の過剰採取による地下水位低下、河川等への排水の垂れ流しによる水質汚濁もひどい状態です。
ここで節水教育の重要生について話しました。一通りの説明が終わると担当者はこう言いました。
「私たちが求めているのは教育ではありません」
担当者は節水技術について関心があると言って、日本での雨水利用技術、中水利用技術、再生水利用技術について質問をしてきました。
淄博市には工場が多いため工業用水の不足と汚染に頭を悩ませています。工業用水の消費量が生活用水よりも多いので工場内での水のリサイクルについて高い関心をもっていました。淄博市では中水利用は始まったばかりであり、トイレや緑化に使っていますが、工場ではあまり使われない状況にあります。
そこでは私は日本での最新技術を紹介したうえで、こう答えました。
「もちろん節水技術は大切です。水不足の地域では欠かせない技術となっていくでしょう。ですが地下水がなくなるから、中水や再生水を利用すればいい、海水を淡水化すればいいという考えは危険だと思います。技術に依存しているだけで、水の使い方を根本から見直さなければ、問題は解決できないでしょう。それに下水再生、海水淡水化はいまのところ大量に石油エネルギーを使うため、水をつくるために大量の化石燃料を使用します。水が足りてもエネルギー不足になったり、そのために温暖化を助長して、さらなる水不足につながる可能性もあります」
教育は一見、手間がかかり、効果が出るのも遅いと感じられますが、学んだ人が伝える人になることによって、共感の輪はかなり早く広がります。企業文化や社会を変えるには、技術と同時に、こうした教育が必要であることを繰り返し説明しました。
節水文化が未形成であるという問題
節水リーダーの育成プログラムがスタートし、まず河南省鄭州市に向かいました。河南省は人口1億人、州都である鄭州市だけで700万人いるので日本の「市」とはレベルが違います。日本では「中国が…」「中国人が…」という言い方をしますが、河南省だけで日本の人口に匹敵する人がいるのです。そして河南には河南の文化があり、河南の水事情があります。他にも1億人弱の省がいくつもあり、それぞれの文化があります。
ですから、「中国が…」「中国人が…」という括りでは、いろいろな問題を見誤ります。よく企業の人から「中国は地下水が枯渇しそうで今後は再生水利用が進む。だから関連技術が中国全土で売れる」などと言われるのですが、とても大雑把な感じがします。
地下水が枯渇しそうな街もあれば、そうでないところもあり、それを補填する方法を再生水と考えているところもあれば、そうでないところもあります。日本ではローテクと考えられているもののほうが、使い勝手のよいこと、コスト的に見合うこと、運営管理しやすいことが多いのです。
鄭州市は、夏は暑く雨が多いのですが、冬になると乾燥し雨や雪は滅多に降らなくなります。年間降水量は約640ミリ、一人当たりの年間水資源量は200トン。中国の一人当たりの年間水資源量が約2200トンですから10分の1以下ということになります(ちなみに日本の一人当たり年間水資源量は約3400トン)。
鄭州市は小麦、トウモロコシなどの生産が盛んで中国の穀倉地帯となっていますが、絶対的に水資源が不足しており、使用する水の大部分を地下水と黄河からの導水に頼っています。
私はここで、節水に関する普及啓発活動についての担当者向け講義と、小学校での授業を行いました。
出発前「中国には節水の概念がない」と聞いていたのですが、それは間違いでした。鄭州市でも、これまで節水キャンペーンを行ってきました。水道関係の仕事に従事している人にインタビューしてラジオで放送したり、公共スペースにポスターをつけたり、ホテル等にステッカーを無料で提供したりしてきました。とくに節水週間の期間には、メディアやインターネット等を利用してキャンペーンを行っています。
節水器具も集合住宅や学校を中心に少しずつ進み、各学校ではシャワーを利用するときはICカードを利用して水の制限をしています。
それでも節水意識はなかなか浸透しなかったようです。
中国では節水よりも洪水のほうが脅威であるという認識があり、近年になってやっと節水の重要性がわかってきました。
鄭州市の節水担当者は、日常的な普及啓発活動の方法が単一的だったこと、節水文化が未形成であることを問題視していました。節水文化の未形成という問題は、他の大部分の都市でも同様に存在する問題といえるでしょう。
ですが節水と言われると、市民は「生活が不便になる」「我慢を強いられる」という気持ちになってしまい、行動に結びつかないだと、担当者は嘆いていました。
私が学校などで行っている「水の授業」は節水に特化したものではなく、持続可能な社会のために、水、食、エネルギーを賢く使う方法を考えましょう、というものです。闇雲に「水を使うな」というだけでなく、未来世代のことを考えること、水、食、エネルギーの3つを視野にいれて賢く使うということです。
鄭州市では節水策として、水の再利用を進めています。
そうすると節水ができる一方で、水を再生するための石油・石炭エネルギーはたくさん使います。行き過ぎると、気候変動が加速し、水不足になってしまうわけですから、目先の節水策にとらわれると自体を悪化させることになります。ですから、水、食、エネルギーのスマートユースを多くの人に理解してもらう必要があるのです。鄭州市の担当者は「その考え方はとてもよい」と言っていました。
鄭州市の小学校での授業
もう1つが小学校での授業です。小学生を対象に授業をするのは2つの理由があります。1つは小学生が成人したころには水の問題はいまより大きくなっている可能性が高いと言われているので、その問題に正しく向き合い、どうしたら解決できるかを考えるためです。
子どもたちのなかには、マスコミなどから発せられる悲観的な未来予測のために、生きる希望を失っている子もいます。不安を煽るばかりではいけないのです。問題は問題として認めながら、解決することを前提に、どうしたらよいかを考えることが大切です。
もう1つは、小学生を媒介に親世代も啓発しようというねらいがあります。親の世代には具体的な節水方法を伝え、それが環境に対してどういう影響をもつのか、また時間的、金銭的にどのくらいのメリットがあるのかという情報を伝えます。こうすると節水を行うのですが、それは一時的なもので終わってしまうこともあります。ですが子どもから「お母さん、水を大切にしてね」と言われると、行動が継続されることが多いのです。
そういう意味でも子どもへの教育は大きな意味がります。鄭州市の小学4年生、約150人を対象に水の授業を行いました。
まず1日にどれくらいの量の水を使っているかを聞いてみます。すると100リットルから200リットルの間の子が多かったのですが、10リットルのバケツを見せ、「これ20杯分だよ」と言うと驚きの声があがりました。
子どもたちの反応がとてもよく、私の話の途中でも言いたいことがあると手があがってきます。勉強に対する意欲を感じました。
最後に、「今日、聞いた話をお父さん、お母さんに伝えてください。そして、『お母さん、うちではどれくらい水を使っているの』と質問してください。そのあとで、どうしたら水を大切に使えるか、家族で話し合ってください」
するとみんなが「やります!」と言っていました。もちろんこれだけでスマートユースが進むほど、簡単なものではないのですが、まず何かに気づくことが大切です。その気づきは与えることができたと思います。気づいたうちの30パーセントが行動するようになり、5%が学ぶ人から伝える人に変われば、よいと考えています。
授業のあと校長先生が、「世界中の子どもたちの世代のために、水を大切にしなくてはいけませんね」「この授業を私たちもできるようにしていきたいです」としみじみ言っていました。
北京でも北京中古友誼小学校で節水模擬講義を行いました。4年生に対し、地球儀、バケツ、ペット、ボトルなど、普段見慣れた道具を教材にし、授業をしました。参加型の方式も、外国人の先生と初対面で緊張感を高めていた小学生たちにも参加型の方式は受け入れられ、授業中、生徒たちは「先生」「先生」と呼びかけながら、先を争って発言し、最後に節水に関するアイディアを自ら提案し、家庭節水を促進すると宣言しました。
校長先生には、「「小手拉大手」という、小さな手を通じて、大きな手をもつなぐ効果も期待できるのではないか」と言われました。
活発な空気に包まれていた教室の後ろには、厳粛な表情で授業の様子を見つめている人がいました。それにプロジェクトモデル都市である北京市、鄭州市、淄博市からの研修参加者です。今後は節水リーダーとして学校、企業、社会において、水の大切さを啓蒙していくことになります。今回の模擬授業の見学を通じて、自ら節水リーダーの舞台に立つ姿も想像しているのでしょう。
節水活動をどう評価するか
「水の授業」を終えた後、中国人の一人にこう言われました。
「よいプログラムだとは思うけれど、学校が導入するのはむずかしいと思いますよ」
「どうしてですか」
「この授業は受験に関係ないじゃないですか」
中国の受験競争は過熱するばかりです。子どもたちは北京、上海など大都市に集中する一流大学をめざします。それが出世の道だからです。各州にも大学はありますが、都会の大学に比べてレベルは落ち、卒業後の進路も限られます。だから成績のよい子どもはみな都会の大学をめざすのです。
ただ地方から都会の大学を目指す場合、地方の子は都会の子より、高い得点を上げないと合格できないしくみになっています。ですから地方ではより受験勉強に熱心になります。
そして一流大学に何人合格させたかが、高校の先生の業績として評価の対象になっています。それはその下の中学校や小学校でも同じです。ですから受験に関係しない「水の授業」を、学校の先生は積極的に導入しないだろうというのです。
自分の評価につながらないことは導入したくないのです。
私は水道担当者がさかんに「節水すると収益が上がらなくなる点をどう考えたらいいのか」と言っていたことを思い出しました。水道局は水を売って収益を上げています。収益を上げれば担当者は評価されます。
ですが節水はこれに反します。最近になって中国での人事評価ポイントに環境面での指標が加わりましたが、実質的に機能するにはしばらく時間がかかりそうです。
じつはここが大きなポイントです。節水にしろCO2の削減にしろ、環境によいことというのは、経済活動を縮小するケースが多いのです。ですから売上げや利益で評価するのではなく、温暖化ガスや水資源といった環境・サステナビリティーに関わる資源の効率的活用を、経営や人事評価のものさしに加える必要があります。
中国と一口にいっても、州や市で、地理環境も違えば、財政事情や人材の豊富さ、インフラの整備状況など、ありとあらゆるものが違います。節水技術、水の大切さを伝える教育も、そうしたことを踏まえて行うべきだろうと考えさせられました。
スタートした節水教育
節水リーダー候補者の研修では、地域の水事情にあったプログラムを独自に考えました。水事情は地域によって差異があり,地域問題を題材としたほうが「自分ごと」として考えやすいのです。
こうして2010年秋、22名の節水リーダーはそれぞれの市の小学校で水の授業をスタートさせました。現時点では鄭州市の活動が最も活発といえそうです。理由は、鄭州市の水関連部署と地元小学校との連携が上手くいったためです。
節水リーダーは授業の最後に子どもたちに向かってこう語りかけています。
「今日、聞いた話をお父さん,お母さんに伝えてください。そして、『お母さん、うちではどれくらい水を使っているの』と質問してください。そのあとで,どうしたら水を大切に使えるか、家族で話し合ってください」
こうすることで保護者世代にも持続的な水利用の具体的な方法を普及啓発するねらいがあるのです。
さらには言えば「アジア」という視点が大切になっています。
中国からの越境汚染が問題になりましたが、その原因は日本にもあります。日本企業が生産拠点を中国に移し、日本で行っているような公害対策を行わないまま生産を行っていることが、汚染につながっているケースもあります。また日本は中国から30億トンもの水を買っています。食料生産には大量の水が必要です。中国から食料を買うということは、中国から水を買うということです。
つまり、この問題は日中共通の問題であるので、協力し、有効な対策をとっていくのです。
東アジアでは今後水不足が拡大していくと予想されています。国連の予測では、2025年には北朝鮮、韓国、中国が水不足になるとされています。とりわけ韓国は深刻です。日本は水不足にはならないとの予測が出ているのですが、他国の水資源への依存度が高いという課題を抱えています。
水の問題を東アジアの問題としてとらえて、ともに解決していくという姿勢がこれから大切になっていくでしょう。