<水の科学29>人類の発展と水との関係の変化

水を汲みにいく時代から水を引き寄せる時代へ

 人類の営みは、川の近くの半乾燥地帯ではじまりました。

 川から生活に必要な水を得て、そこを水場とする動物、棲息する魚介類を狩猟することもできました。豊富な水に支えられて植物が茂る環境は、食料調達だけでなく、寝床としても隠れ家としてもこのうえないものでした。

 この時代、人間の使う水は自然の循環のなかにあり、それを必要に応じて使っていました。

 やがて農耕がはじまりましたが、農業用水も肥沃な土地も、いずれも川からもたらされました。上流から流され堆積した土砂によって肥沃な土地が形成されたのです。

 農耕が盛んになると水利用に1 つ目の変革が起きます。それまでは水を得るために水辺まで移動していた人間が、反対に自分たちの方へ水を引き寄せたのです。

 古代文明が発達した地には、灌漑用運河、貯水や分水を目的とした小さなダム、淡水を重力の力で運ぶ水路、清潔な水と汚水を分離するための汚水処理システムの痕跡が残っています。

 水道の起源は、紀元前312 年のローマ・アピア水道といわれます。ローマでは、その後300 年の歳月を費やし440 キロメートルの水路が建設され、帝国は大いに発展しました。

エネルギーをつかって水を運び、浄化する時代

 2 つ目の変革は、物理法則に逆らうことでした。古代から中世までの水道は、土地の高低差によって水を運んでいました。高いところで取水し、土地の傾斜を利用して配水していました。位置エネルギーによる配水です。

 ところが産業革命期に、蒸気機関が発明されるとポンプでの揚水や導水が可能になり、水道網は低地から高地へ、また水源から遠く離れたところまで伸び始めました。

 同時に汚れた水を浄化する技術も生まれます。水を浄化し、給水する近代水道の起源は、19 世紀の英国スコットランドのグラスゴーといわれます。産業革命の最中、グラスゴーの郊外ペーズリーで、繊維工場を営んでいたジョン・ギブ。工場では繊維を大量の水で洗う必要がありましたが、近くの川の水は白濁し、使用することができませんでした。

 そこでギブは川の水を導水し、礫層と砂層を通し、浄水にしました。こうして人類は浄水技術を手に入れたのです。

 浄水方法は、より高度に、より複雑になりました。生物浄化法(緩速ろ過)が急速ろ過へ、さらには膜ろ過、オゾン殺菌へと進化し、エネルギー使用量は増えていきました。これによって安全な水の供給を受ける人の数が飛躍的にのび、都市の拡大につながったのです。

エネルギーをつかって水を生み出す時代

 人口増加にともない水需要は増える一方です。とりわけ食料を生産する水が不足しています。マギル大学ブレース・センターの水資源マネジメント研究チームによると、2025 年の世界の食料需要予測に基づき、食料生産を増やすためには、さらに年間2000km3 の灌漑用水が必要になります。2000km3 という量は、ナイル川の平均流量の約24 倍です。また、現在の水使用パターンを前程とすると、2050 年の世界の予想人口が必要とする水の量は、年間3800km3 と計算されます。これは地球上で取水可能とされている淡水の量に匹敵します。

 つまり人間だけが地球の淡水を独占しないとやっていけないという予測です。水は自然環境とあらゆる生物に必要不可欠ですから、人間が独占したらほかの動植物は息絶えてしまいます。それは現在、人間が自然から受けている恩恵が失われ、人間が生きていけないということでもあります。なぜなら人間は自然のつくった水を得ているからです。

 そうしたことから現在、人類は3 つ目の変革へと進んでいます。これまでの水利用は、陸地にある淡水に限られてきたのですが、水資源の枯渇が懸念されるようになり、豊富な海水に目を向けました。海水を真水に変えるのです。

 しかしながら海水淡水化という魔法の杖を動かすには、大量のエネルギーが必要です。1t の水をつくるのに (キロワット/時)というエネルギーが必要で、1 日に100 万t の水をつくる「メガプラント」では毎日400 万kWh の電気を使用します。

 当然、コストがかかります。都市の基本インフラを維持するためだけでなく、生産にもその水を使うのでコスト高になります。経済成長が鈍ればインフラを支える費用は住民の肩に重くのしかかるでしょう。

 発電には化石燃料を使用するケースも多く、その結果、気候変動につながります。水不足を解決するための魔法の杖を動かし続けることにより、結局は、自然の水循環を狂わせることになります。

 淡水資源を使い続けたら自然を滅ぼしてしまうのですが、かといって海水淡水化にも課題が残っているのです。

「通読できてよくわかる水の科学」(橋本淳司/ベレ出版)より