浄水場めぐりをはじめた理由

私は群馬県館林市で生まれました。群馬県は俯瞰して見ると「鶴が舞う」ような形をしていると言われますが、ちょうどその頭の部分に位置します。

坂東太郎と呼ばれる首都圏の水源・利根川と、田中正造が活躍した足尾鉱毒事件の渡良瀬川に挟まれたわが郷土には、沼地がいくつもあります。

子どものころの遊び場はもっぱら多々良沼という近所の沼で、漁協の船にこっそり乗って遊んだり、フナやコイを釣ったり、水面に平べったい石を投げて「水切り」をしたりしていました。

辛いときも水が側にありました。

子どもの頃、親に叱られて水辺でひざをかかえていたのにはじまり、大切な人との別れ、人生を変えるような大きな出来事に直面したとき、行くあてもなく湖畔を歩きました。郷土の水辺は私に生きる力を与えてくれました。

ですが、水に恵まれたところにいると、なかなかそのすばらしさに気づかないようです。

初めて水を意識したのは大学のとき、東京都荒川区の古いアパートで一人暮らしをはじめたときのことです。川の汚れがピークに達していた1980年代後半の東京の水はお世辞にもおいしいとは言えず、蛇口をひねって飲むと、鉄のような味、金魚の水槽のような臭いがしました。

憂鬱な思いと同時に、「場所によってこんなにも水の味が違うのか」と驚きました。「ならば、あちこちの水を飲んでみよう」と思い、名水と言われる湧き水や各地の浄水場を訪ね歩くようになりました。

アポイントなしで浄水場を訪問し、突然「水を飲ませてほしい」と頼んでも、なかなかかないませんでしたが、青森県弘前市の横内浄水場で「パンフレットに『日本一おいしい』とある水をどうしても飲みたい」と頼みこみ、飲ませてもらうことができました。この水の味はいまでも忘れられません。1つ成功すると、あとは簡単でした。浄水場の方が紹介してくれたのです。テレビ番組で、紹介してもらいながら晩ご飯をごちそうになるという企画がありますが、あれの浄水場版です。

友だちからは「ヘンなやつ」だと思われていました。たまにフラっといなくなったら水を汲んで戻ってきて、みんなに水を振る舞うのですから、そう思われてもしかたがないでしょう。「いい浄水場を見つけた」って自慢しては、女の子に笑われていました。

卒業後は少しの間、出版社に勤めましたが、やがて独立し、現在のような仕事をはじめました。

最初の取材先は、フランスのヴィッテルでした。コンビニなどで売られているペットボトル水のヴィッテルです。ヴィッテルを商品名だと思っている人が多いですが、実は地名です。フランスでは、水に採水地の名前をつけて大切にしているのです。当時の日本では、ペットボトル水はまだ一般的ではなく、スーパーやコンビニにおかれているのは2、3の銘柄に過ぎず、外国産が輸入されはじめた頃です。

よくわからず取材に出かけると、ヴィッテルは保養地でした。リタイアメントした人たちがやってきて、ヴィッテルの水を飲みながら、昼はテニスなどのスポーツ、夜はカジノに興じていました。

しかし驚いたのは、ヴィッテルの水には、尿路結石やリウマチなどの治療効果があることが認められ、水をつかった医療に健康保険が適用されていたことです。ほかにも体にいい水はあるのかと調べてみると、フランスのミネラルウォーターにはそれぞれ効能があることがわかりました。

帰国後記事を発表したところ、興味をもってくれた人から多くの問い合わせがありました。「糖尿病を患っているのだけど、どんな水を飲んだらいいか」「うつ病を治す水を教えてほしい」などです。若かった私は正直困惑していました。

たしかに生きていくには水が必要です。人間は、水と睡眠さえしっかりとっていれば、たとえ食べものがなかったとしても2~3週間は生きていられますが、水を一滴も飲まなければ、わずか4~5日程度で死んでしまいます。

でも、水にそれ以上の効果効能を求め、輸入された高価な水を買い求めるのは、何かが違うように思ったのです。

そんなとき、はじめて水道の敷設されていない国に行くことになりました。そのことが私の水への意識を大きく変えることになりました。それについては、別の機会にお話しすることにしましょう。(橋本淳司)

お問い合わせやご依頼は以下へお願いします。
アクアスフィア・水教育研究所