水のような生き方「上善若水」 橋本淳司

天地自然の働きに身を任せる

 「上善若水」と言うと、ときおり「お酒ですか」と聞かれることがありますが、元は『老子』に登場する言葉です。

『老子』は紀元前403年~紀元前221年の中国の戦国時代に書かれたとされています。正式名は『老子道徳経』と言い、上下2篇81章に渡って教えが説かれています。

作者ははっきりしていません。

中国の歴史書『史記』では、楚の苦県(現在の江南省鹿邑県)、曲仁里の出身の、李耳たん(りじたん)とされています。李耳たんはもともと周の書庫(図書館)に勤める役人でした。周の衰退を見て旅に出ることにしたときに、関所の役人に請われて書いたのが『老子』だとされています。

ただし同じ『史記』のなかでも『老子』の作者候補として老來子(ろうらいし)という別の人物が上げられていたり、「200歳以上生きた」という神格化された伝承も残されていたりと、やはり作者は定かでないと言えるでしょう。

※本稿では『老子』の作者を老子と記します。

老子の言葉には「上善若水」の他にも「和光同塵」「大器晩成」など馴染み深いものが多いのです。

代表的なものは「無為自然」でしょう。

この場合の「自然」はネイチャーではなく「自ら然(しか)る」という働きです。なぜ「自ら然る」のかといえば、万物はみな「道」を内在させているからです。

「無為自然」というと「とにかく何もやらないほうがいい」という世捨て人的な感覚と思われることがありますが、そうではありません。

老子の言う「道」とは「人としてのあり方」を示してはいますが、それ以上に「天地や万物が生み出す根本的原理」という大きな意味をもっています。

この世を動かしている究極の原理のようなものと考えてください。

人間社会のことだけでなく、はるか宇宙に至るまで、ありとあらゆる物の生成や存在が「道」によっていると考えられています。

ですから「無為自然」とは、意図、意思、主観を捨て去り、天地自然の働きに身を任せることを示しています。老子には全編通じて、「多くを求めることなく、作為的なことは行わず、他人と争うことなく、あるがままに生きよ」といったことが書いてありますが、それは人間社会での生き方論を超えて、自然界のなかでの人間の有り様を教えてくれているのでしょう。

柔軟に低い所へ流れる

その老子が、理想世界である「道」のあり方として、水を賞賛し、水の性質を人の生き方に結びつけています。

水の性質とはなんでしょうか。

水はとても身近な存在であり、飲まないと生きていくことができませんが、一方で、あらゆる物質のなかで最も不思議な性質をもつものとされています。

その1つ目は、あたたまりにくく、さめにくいこと。

私たちの体は60〜70%ほどが水で占められています。

私たちは体内を水で満たしているので、極端に熱が上がったり、下がったりすることなく、生体の機能を維持できます。

不思議な性質の2つ目は、固体である氷のほうが、液体の水より軽いこと。

ほとんどの物質はその逆で、固体のほうが液体より重いのです。だから池の表面が凍っても、底には液体の水があります。もし池の水が底から凍っていったとしたら、魚をはじめとする水にすむ生き物は死に絶えてしまったでしょう。

 3つ目に、水はいろいろな物質を溶かす働きが大きい。

私たちが生きているのは、この力のおかげです。食べ物からとった栄養を血液に乗せて運んだり、不要な物質を尿として排出したりしています。水ほどいろいろな物質を溶かすはたらきをもつ物質は自然界に他にはありません。

 では、老子は水のどんな性質に注目して「上善如水」と言っているのでしょうか。それは「上善如水」に続く部分に次のように書かれています。

「水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る、故に道に畿(ちか)し」

水は大地に恵みを与え、ありとあらゆる生命を育みます。

人々の喉を潤し、作物を育てるなど、さまざまな利益を私たちに与えてくれます。

私たちは飲み水の貴重さは実感できても、食べ物をつくるのに水が必要であることをつい忘れそうになります。ですが世界の淡水資源の7割は農業に使われていて、普段何気なく口にするコーヒーには1杯につき132リットルの水が必要です。

コーヒー豆の栽培に水が欠かせないからです。さらにハンバーガー1個には2400リットルの水が必要です。牛を育てる飼料の栽培に水が不可欠だからです。私たちは密やかな水の利によって毎日生かされています。

こうした水の性質として、まず柔軟であることが挙げられています。

川を流れる水は岩にぶつかるとしなやかに方向を変えます。湯のみ茶碗のなかの水はまるい形をしており、升のなかの水は四角いかたちをしています。

さらに、山に降った雨は下へと流れて一筋の川となり、川はさらに低い方へ向いやがて海に出ます。陸地にとどまっている水は低い所に落ち着きます。机の上に水を落としても、最初のうちこそ水滴はうろうろとさまよいますが、そのうちわずかな窪みに落ち浮きます。

そうした水の様子を見て、老子は「何事にもあらがうことなく生きるものの象徴」ととらえました。

老子が生きた時代は国同士の争いが絶えず、争うことで利を得る生き方が一般的でした。誰もが「戦ってのし上がろう」「人より上に行こう」としていました。そんな時代にあって老子は「水のように生きなさい」と言いました。

老子は水のもつ力を次のようにも書いています。

「天下に水より柔弱なるはなし。しかも堅強を攻むる者、これによく勝るなきは、その以て之を易うる無きを以てなり。弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下、知らざるなくして、よく行うなし」

老子は「争わず低いところに留まる」生き方こそ堅く強いものに打ち勝つことができる秘訣と考えたようです。水は「方円に従う」という言葉のとおりしなやかです。しかし、重くて堅いものを動かす力をもっています。打っても破れず、刺しても傷つかず、切っても断たれず、燃やしても燃えません。弱いものが強いものに勝ち、やわらかいものが堅いものに勝つ。そのことは誰もが知るところです。

中国の兵法書である『孫子』にも似た考えが述べられています。それは「兵の形は水に象る」というものです。軍形は、水に一定の形がなく、様々に姿を変えて高い所を避けて低い所に向かっていくのにならうべきだというのです。様々に姿を変え、そして兵の充実しているところを避け、充実していない敵のすきを攻撃することが勝利のために必要な条件であるとしています。

しかし、大抵の人は、単なる強さに価値をおいているので、実践することができません。柔弱なものが剛強なものに勝つには、柔軟な発想力を生かすことが必要だからです。正面から戦えば剛強なものには到底勝てないので、その分、知恵を尽くさなければならない、ということです。

剛強な水に柔弱に対応する

老子の教えには水と上手に付き合うヒントもあるのではないかと思います。

老子はもっとも柔らかい水に大きな力が潜んでいることも理解したうえで「上善は水の若し」と述べています。

普段は穏やかな川の流れも大雨ともなれば増水し、濁流となって重い岩を動かし、山を削り取って地形を変えてしまいます。さらに現代では、水をノズルで噴射して金属を切断することだってできます。

いまは気候変動の時代です。

気候変動はいろいろなかたちで現れますが、私たちが感じやすいのは、水の相(すがた)を変えるということです。

水は気温が高いほど速く蒸発します。

そのため気温が上がると、空気中の水蒸気の量が増え、湿度が高くなります。湿度が高くなると、雨が降りやすくなり、強い雨が頻繁に降るので、洪水が多くなります。日本では自然災害につながる可能性のある1日当たりの降水量が100ミリ以上の大雨の降る日が増えています。

頻発する豪雨災害の現場などで、水の力をまざまざと見せつけられました。

ときに剛強な相を見せる水に私たちはどのように対応するべきでしょう。

これまで日本では、どんな台風が来ようと、大雨が降ろうと、普段どおりの生活ができるような国土整備を目指してきました。現在でも「国土強靭化」の旗を掲げ、堅牢な鎧を纏うような方法で備えようとしています。

治水ダム、砂防ダム、スーパー堤防などがその例でしょう。でも、そうしたインフラを整備し、維持する財政的な余裕は残念ながらもうありませんし、インフラを整備することでさらに自然に負荷をかけ、水の威力を高めてしまう場合もあります。

ですから、平時の水に習い、柔軟な方法で剛強な水に対応することを考えるとよいでしょう。

そのほかに森林を整備して森の保水能力を上げる、過去に水害のあった土地は開発しないなど、なるべく低コストで、なおかつ自然に負荷をかけない方法で行う必要があるでしょう。

古の治水に学ぶこともできるでしょう。たとえば戦国時代の治水です。この時代、領主は治水に力を入れました。基幹産業は稲作でしたから、安心して米作りができ、収量が安定すれば精神的、経済的に地侍は豊かになります。領内の経済的活力が大きくなり、領主の勢力安定と増強につながります。

この時代の治水名人といえば、武田信玄、加藤清正、成富兵庫茂安があげられますが、彼らの事業を見ていると、現代に応用できることが3つあります。

 1つ目は、水を集めるのではなく、分散させること。

現在の洪水対策が目指しているのは、降った雨をなるべく早く川に集めて、早く海にもっていくことです。そのためダムを建設し、下水道を整備し、長く高い堤防を築きました。しかし、田んぼや雨水貯留などによって、水を分散させることで水の勢いを弱めることはできます。

 2つ目は、川は時に溢れることを前提にしたこと。

現在は川に入った水を川から出さないことを目指しています。水の力をコンクリートで制圧しようとしています。ところが想定量を超える雨が各地で降るようになり、人の力で水をコントロールすることが難しくなり、河川が決壊したり溢れたりする被害が目立つようになってきました。

戦国時代の技術である霞堤は、洪水が起こると水は堤防の外へ流れ出しますが、ゆっくり流れ出るため、被害を軽減させることができます。洪水を治めることが不可能であることを前提に、被害を最小限にくいとめる仕組みにしています。

 3つ目は、流域全体を使って対策を考えたこと。

盆地全体を見渡したスケールの大きな視点で対策を考えていました。

一方現在は、同じ川の流域であっても国が管理するところや自治体が管理するところがわかれています。対策を自治体の枠を越え、流域全体を俯瞰して総合的に進めることはできないでしょうか。いにしえの知恵は自然の力を認めたうえで、それに抗うことなく、柔軟に対応しようというものでした。剛強な水にしなやかに対応する方法を現代版に改良することが重要でしょう。

経済成長を目指さない社会づくり

老子は、欲望を抑え、自己主張をせず、他人にへりくだることを勧めています。

こうした「無為自然」「譲る」「退く」という思想は、つまるところ隠遁、隠棲の境地になってしまうと批判されることがあります。人は家族や世間を捨てて深山幽谷のなかで独り暮らすわけではありません。現実を生きていかなくてはなりません。

しかし、老子は「世捨て人の思想」というわけではありません。

老子は「理想の国家像」として「小国寡民」と説いています。

小さな国、小さな住民ということで、グローバルではなくローカルな暮らし、地域コミュニティーを大切にする暮らしということではないかと思います。老子によると、その小さな国の住民は、あれこれの道具は使わず、船や車には乗らず、武器は使わず、食事や衣服にも住居にも満足している。

要するに、生活を楽しみ、余計な欲望を抱かないということなのです。

老子は「一」という数字の重みを重要視していました。

一は、全ての数の始まりであり、物事のスタート地点。すなわち、万物の根源です。それは老子の思想の根幹にある「道」とほぼ同じ意味をもちます。世界の始まりがなければ、文明だって起こり得なかったでしょう。そういう意味では、私たちのこの現代文明もまた、「一」という始まりの数字の上に成り立っています。

老子にはこんな言葉もあります。

 「天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧し」

つまり、天も地も「一」を得て生まれたものであり、生まれた時のままの純粋な姿を保っているということ。これは「人間社会はどうか」という問いかけでしょう。単なる文明批判に止まらず、文明の根底にある人間の欲望やおごりにとらわれることこそが、人間自身を不幸せにしていると指摘しているのです。

いうまでもなく地球は有限です。有限の地球から無限に水や資源やエネルギーを取り出し、無限に汚水や温暖化ガスや廃棄物を戻し続けることはできません。

現在、人間の生産活動は地球1個分をはるかに超えて、近い将来、地球2個分になろうとしています。

もちろんそれは無理な話で、そんなことをしたら地球環境は激変し、人間の営みは終わりを告げるでしょう。

この辺りで、地球への負荷を減らす社会、経済成長を目指さない社会づくりを真剣に考えなくてはなりません。

経済活動は行いながらも、その規模自体は拡大していかない経済です。そうしたなかで人間の生産活動も変わっていくことになるでしょう。自然の無垢な在り方に学び、人間も自然に回帰する。それが老子の説く幸せの有り様なのでしょう。

心には淵なるを善しとし

老子は、具体的に水のどういうところを見習えばいいかということで幾つか例を挙げています。

たとえば、「居には地を善しとし」。これは高いところに住むなという意味ではなくて、高い地位を望まない、成長を望まないということだと思います。「心には淵(えん)なるを善しとし」というのは、水を湛えた淵のように深く静かな心の様を保つということです。欲望のさざなみを立てない状態といえます。

では、どうして心にさざ波が立ってしまうのか。

私たちの社会にはさまざまな価値観があり、多様性の大切さが叫ばれます。それは自分の価値観に固執し、他者の価値観が認められない現実があるからでしょう。他人に対して攻撃的で冷淡な社会。世代間、地域間、性別間、所得階層間それぞれの対立が激化し、私たちはバラバラな存在へと追いやられています。孤立した個人は他者への憎しみをヘイトスピーチのような攻撃で表現します。

ですが私たちは相対的な世界に生きていることを忘れてはなりません。

自分があり他者があることで自己を認識します。

他者からの照らし返しによって自分を認識するということです。そして認識には必ず価値判断が含まれます。

たとえば芸能人のちょっとした不祥事のニュースを知ったとき、あなたは「この人はひどい人だ」 と思うかもしれません。

ですが、あなたが日頃からその人をよく知っていて、とても気の優しい人だとわかっていたらそうは思わないかもしれません。むしろひどくいう人に対して怒るかもしれません。

ですが、この判断は自分の価値観から生まれています。

つまり、真実が存在しているのではなく、その芸能人をそのように見て評価しているにすぎません。

しかし、その価値判断というのは相対的なものです。周囲にあふれる情報を取り入れることで、その時々の自分の価値観を作っているわけです。水とは反対に「熱しやすく冷めやすい」ので実際のところそれが本当に自分の意見かどうかもわかりません。

そこに気がつけば、あまり自分の考えに固執することもないでしょうし、瞬間湯沸かし器のように他者を攻撃することもないでしょう。自分の考えといっても相対的なものであることを理解すれば、強く主張して周囲と争うこともないわけです。

過去のことをとやかく言わず、すべてなかったことにすることを「水に流す」といいます。

日本人は、昔から川にゴミを捨ててきました。日本の川は急流なので雨が降り土砂で濁ってもすぐきれいになります。川はごみを流してもすぐ目の前から流し去ってくれました。

これが「水に流す」という言葉がうまれた背景です。「水に流す」精神が育まれたのは稲作に関係があります。稲作は一人ではできません。共同作業が必要です。同じ川の水を使うという気持ちから共同体ができ、水源を管理し、水を確保し配分するのです。

個人で勝手な行動はせず、農村共同体を維持し、気を配ることが必要でした。このような共同体のなかで、「おたがいさま」という精神が生まれます。たとえばどこかの家が一日作業を休まなければならないことが起きたときに、変わりに他の人が交代で作業します。自分もいつか休むことがあるかもしれないので、「おたがいさま」といって助けるのです。

共同体のなかで問題がおきると、村の長はまるくおさめなければなりませんでした。

迷惑をかけた分の責任はとらせますが、互いのしこりが残らないようにほとんどは和解でした。

つまり、水に流したのです。もしつまらないことにとらわれているのだとしたら、水に流してしまってもよいのではないでしょうか。

そうすることで水を湛えた淵のように深く静かな心の様に近づけるのではないでしょうか。

著者:橋本淳司(aqua-sphere編集長)